MAVO(マヴォ)
1923年大正12年、村山知義、柳瀬正夢、尾形亀之助、門脇晋郎、大浦周蔵によって結成された新興芸術グループ。7月に浅草の伝法院で第1回展が開かれ、村山の起草による「マヴォの宣言」が発表された。(マヴォの語義には同人の頭文字や撒き散らした紙片の文字など諸説あるが定かではない。)「形成芸術」を当面の活動主体とし、マヴォは関東大震災前後の東京で日本のダダと言うべき活動を展開した。「マヴォ宣言」にある「「私達は尖端に立つている。そして永久に尖端に立つているであらう。私達は縛られていない。私達は過激だ。私達は革命する。私達は進む。私たちは創る。私達は絶えず肯定し、否定する。私達は言葉のあらゆる意味に於て生きている、比べるに物のない程…」は有名な一文である。

マヴォ宣言(全文)
〈一〉
・私達は形成芸術(主として)に関する一つのグループをつくる。
・私達は私達のグループをマヴォと名附ける。私達はマヴォイストであり、私達の作品及び此の宣言に表はれた主義乃至傾向はマヴォイズムである。そしてマークをMVときめる。
・私達は私達が形成芸術家として同じい傾向であるから集まつた。
・そしてそれは決して芸術上に於ける主義、信念の同一であるがためではない。
・それ故私達のグループは積極的に芸術に関する何等かの主張を規定しようとしない。
・私達はしかし形成芸術界一般を見渡すとき、私達が非常にコンクリートな傾向でお互ひに結ばつていることを認める。
・私達のグループはかうして出来たのもである故、時間的なものであり、機会的なものである。
・私達は各自、無論、それを客観的妥当的なものに迄高めたくてならない所の主張なり信念なり熱情なりを持つてゐる。しかし私達はグループを作る以上お互ひに他を尊重する。そして私達は各自の「持つてゐるもの」が根本に於て排他的なものとして働くことがあるとは云へ、これなしにはグループが出来なかつたことを認める。
・要するに私達のグループは形式の上からはいはゞネガティーフなものである。

〈二〉
・私達は次に私達マヴォイストの傾向がどんなものであるかを見よう。
・私達は他の如何なる既存のグループにも主張乃至「表はれ」の点に於いて属しない。(これを厳密な意味にとる必要はない「グループの色彩」といふやうなものを考へて見ればいい。)
・私達は尖端に立つている。そして永久に尖端に立つであらう。私達は縛られてゐない。私達は過激だ。私達は革命する。私達は進む。私達は創る。私達は絶えず肯定し、否定する。私達は言葉のあらゆる意味に於て生きてゐる、比べるに物のない程。
・私達は私達が結ばつているのは主に形成芸術のフオルムの近似のためであることを認めないわけにはゆかない。しかしこの点に於ける「如何なる」そして「如何に」に関しては言及する必要はないと思ふ。それは私達の作品を見ればわかることである。

〈三〉
・私達は展覧会を開く。年に一回乃至四回。そして一般からも作品を募集する。
・一般からの作品は種々な事情から鑑査をしなければならない。
・鑑査の方法は理想をい云へば限りがないけれど私達は一時これを私達のグループのものが引き受けることをゆるして頂く。
・鑑査の標準は範囲と価値の二点に係はる。
・私達は私達のグループ成立の性質上、勢ひ私達と同じい傾向のものに範囲を限る。しかしこれは非常に広義に解さるべきである。
・価値の点に関しては私達グループのものの価値判断にまかせて頂くより他はない。
・講演会、劇、音楽会、雑誌の発行、その他を試みる。ポスター、ショオヰンドー、書籍のの装釘、舞台装置、各種の装飾、建築設計等をも引き受ける。
・毎月マヴォの為めに金一円づつを出して下さる方を出して下さる間だけマヴォのF(フレンド、フロインドの意)と称する。その人達の特権としては、展覧会その他の催しの無料入場等がある。
・マヴォイストはやがて増加するかもしれないが、目下左記の五名である。

門脇晋郎
村山知義
大浦周蔵
尾形亀之助
柳瀬正夢
(原文ママ・一部旧漢字修正)
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